裏側からは治らないといわれた時代
1980年代当時は表側の装置に比べて、裏側からの治療ではうまく治らないというのが定説になっていました。裏側からの治療は夢物語であり、現実的には無理なのだという決めつけが頑としてあったのだと思います。その決めつけを打ち破る人間がいなかったのです。
しかし、私にしてみれば、藤田先生の論文もありましたし、裏側から治らないという理由がわからなかったのです。外側から治るのだから、内側からでも治るはずだ、力を加えれば歯は動くのだからと。患者さんが求めるならばそれになんとかして応えなければいけないという思いもありました。
当時、矯正治療は子どもの頃に始めるものという認識が一般的でしたから、患者さんのほとんどは12歳前後の子どもたちでしたが、かなり凸凹のある不正咬合も裏側から治していました。
最初はとにかく目の前の患者さんを裏側から治すのに一生懸命で、とにかくやってみなければわからないといった状況でしたが、30症例を過ぎた頃から手応えを感じ、次第に確信を持つようになりました。裏側からでも治るという確信が持てるとそれが治療への自信につながっていきました。
ただ、確かにリンガルは高度な技術が必要であり、表側に比べて難しいといわれる理由もあったことも事実です。裏側からは治らない(のではないか)、痛い、噛めない、時間がかかる、費用が高い、治療期間が長いetc
こうした課題を一つずつ取り出し、改善していきました。実際にブラケットのモデルも10個以上試作しています。
そうした努力を続けるうちに費用もそれほど高くなく、治療期間も表側と変わらないくらいにまでになっていったのです。
最後に残ったのが“治療の質”という壁でした。このハードルは一番手強いもので、装置のポジショニングの問題を含めたシステムの開発が早急に必要でした。